5/3は盛岡大通へ行こう

復興支援チャリティイベント「野田村にお届けしてきました」~2019年6/3実施

チャリティイベント「5月3日は盛岡大通へ行こう」と

浜松市のクラフトイベント「tetoteへ行こう」の寄付金を昨日、お渡ししてきました!

※浜松市の同イベント実行委員会からは2015年以来、毎年、寄付金をいただいております。
今年は14万円の寄付金を頂戴いたしました。

 

 

今回は野田村へ。

県北ではもっとも被害の大きかった市町村で
震災当時の人口約4700人(現在は4218人)のうち、

死者38人、
全半壊した家屋450戸

 

寄付金は

野田村立野田中学校へ9万
野田村立野田小学校へ9万

野田村スポーツ少年団(6団体)へ9万
(福)野田村保育会(3園)へ9万
合計 36万円です

 

まずは野田村立野田中学校へ


この日は村内の教職員の研修会があり、
小学校の校長先生とスポ小担当の職員さんにも来ていただきました。

2017年までは写真右側の校庭に仮設住宅があったそうです。

現在の中学3年生は震災当時、小学校1年生でした。

野田小学校の吉田校長先生は
「被災地で伝えることの難しさを感じている」

というお話をしてくださいました。

 

▼野田小学校へ贈呈


「震災を知らない小学生がいる一方で
悲しい、怖い体験をした小学生もいるわけです。
たとえば小学校5年生は震災当時は3歳。
悲惨な光景を見た、触った、をしっかり覚えている。
その子どもたちに、悲しい記憶を呼び起こすようなことをしていいものか
という葛藤があります。」
「被災地だからこそ、むしろ普通にという気持ちがあります」

 

贈呈式?が終わったあと
野田中学校の南校長先生にホールを案内していただきました。

▼野田中学校へ贈呈

▼野田村スポーツ少年団へ贈呈


阪神淡路大震災で被害のあった兵庫県西宮市の山口中学校や
岩手県矢巾中学校との交流事業の様子、
さらに中学生が作ったハザードマップ等たくさんの掲示物を見ながら
お話を聞きました。

「現在、週1回、カウンセラーに来ていただいています。」

「震災時からずっと何かしらを我慢して、頑張ってきた気持ちが
中学生という思春期に一気に表に出ることがあるんです。
それは悪いことではなく、むしろ良いことなんだそうです」

 

このカウンセリングは生徒だけでなく、保護者も受けれるようにしているそうです。

「今年から3.11にやっていた追悼行事を野田村ではやめました。
今は瓦礫もないし、建物も新築された。
でも生活再建や心の再建はまだまだこれからなんですよね」

 

「しかし、こうやって全国から支援をいただき、交流が出来ている。
決して悪いことばかりではない。
本当にありがたいですよね」

 

続いて

野田村保育所へ
(福)野田村保育会の本部を兼ね、地域子育て支援センターも併設しています。

震災時

野田村保育所は建物が流失し

園児90人と
職員14人全員が無事避難したことが「奇跡の脱出劇」として

報道されました。

https://blog.goo.ne.jp/jp280/e/a84f0a01c8b6a0a69952d7c7fcac0e7d?fbclid=IwAR3ixt0XSFmCn3rQzUlhbj-MJsvzDjawfeq-Zop9P-YzQ5My0q0Lx40erLo

 

遠藤園長先生と

当時、この園に勤務していた保育士さんが話をしてくれました。

「2005年(平成17年)に岩手県のハザードマップが改正され

海から500Mの野田保育所は浸水地域に指定されました。

そこで、当時の園長が、保育所から500メートル離れた高台の土地を借り、

そこを第1避難所に

さらに奥にある教員住宅を第2避難所にして
第1避難所から第2避難所へ行く近道の畑の持ち主に

『もしも災害が起きた時は
園児が通ります』という許可をもらいました。」

 

そして、驚くことに
以来、「月1回避難訓練をしていた」そうです。

「避難訓練といっても
子どもですので
そこは「速足散歩」と名前をつけてね」

実は2011年3/11も15:00~「速足散歩」の日だったそうです。

「お昼寝から起きたあたりに、尋常でない揺れを感じ、
これはすぐに津波が来るということで、
0歳児はおんぶで保育士の背中にくくって
1歳児は大型の乳母車にのせて
高台の第1避難所へ避難しました。
でもそこも危ないと感じ、もっと奥の第2避難所まで歩きました。
結局、野田中学校に避難し、最後の保護者のお迎えが20:00に来てくれて職員も帰りました」

 

当時、子どもたちと避難した職員さんがお話してくれました。

「ああいうときって子どもなりに何か感じるんでしょうね。
いつもは寝起きが悪くて、着替えに時間がかかる子どもも
さっと着替えて、

そして誰も泣かないで歩くんですよ

教職員の車はもちろん、建物も流出し、

現在の保育所は
海から約2キロの地点に2012年に新築されたそうです。

 
もとの保育所のあったところを地図で教えてもらおうとすると
「たぶん、このあたりかと。
全部、広い公園になってしまって、昔の面影がないので
私たちでもはっきりわからないんですよ」

 

そして、園長先生が次のようにお話してくれました。

「奇跡の脱出劇といわれますけど、決して奇跡ではないと思っているんです。
震災が起きる5、6年も前から、毎月1回の避難訓練をしていた。
その積み重ねだと」

現在も「速足散歩」という月イチの避難訓練と
年2回の「引き渡し訓練」をしているそうです。

 

今回、保育所、小学校、中学校を訪問してみて
「被災地だからこそ3.11を伝えることの難しさ」を感じました。

 

そして2015年に陸前高田へ寄付にいった際

高田東中学校の校長先生がいった言葉を思い出しました。

 

それは

「いい意味の風化はしていいのですよ」という言葉です。
その意味とは
「ここにいる子は十分につらい思いをしている。
そういう子は風化させていい。
でも震災の実体験がない子どもたちが入学してきたら

防災教育とともに100年先まで伝えていかなくてはならない」

 

野田村保育所の園長先生が最後に

次のように話してくれました。
「私は、震災のことを園児には話さないできたんです。
でも昨年から話すようにしました。
それは、感謝する気持ちをもってもらいたいから。」

 

やはり、今回も現地に行ってみなければ
わからない数々のことがありました。

 

被災した地域へ足を運ぶたびに
「何をもって復興というのか」を
感じます。

それとともに
知らない世代へ伝えていくことの難しさを。

被災地だからこその葛藤がそこにはあります。

来年は、久慈市と洋野町へ寄付する予定です。

 

昨年までのチャリティイベントの支援活動はこちら
https://www.jyosi100.com/novia/activities/

 

 

 

 

 

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復興支援チャリティイベント「5/3は盛岡大通へ行こう2019」~2019年5/3開催

このチャリティイベントを企画して9回目となりますが
とにかく成功の可否はお天気。

 

週間天気予報を見てお天気マークでも、強風なら事故につながりかねないし
当日の朝を迎えるまで、運を天に任せるしかないとはいえ、実はドキドキしています。

 

ですが

2019年(令和元年)5月3日は快晴!!

おかげさまで、出店者のキャンセルも1件もなし!!

たくさんの方が来てくれました!

当日の9:30はこんな感じですから、

人であふれる光景見て、胸が熱くなります。

今回、出店者の方の写真が少なくて、(例年、カメラマンを2~3人お願いしておくのですが、忘れてました)

44店のほんの一部の方々のお写真です。

 
今年の寄付先である野田村の「のんちゃん」

その缶バッジを作るWSをしてくれた㈲コストさん

300円の製作費のなかから100円を募金してくださいました。

初出店の岩手eスポーツ協会のブース
おお!「月曜から夜ふかし」で有名な斉藤さんがいる!


グルージャ盛岡のスタジアム整備の署名活動をしています。
eスポーツはいいのか?斉藤さん???

私も署名しました。

美しいカラーボトルはTCカラーセッションのピュアドリームさん

ホロニック健美館さんはハンドマッサージ中

これまでのイベント出店で過去最高の売り上げでしたという(株)一歩さん

仙台から出店してくださった野菜ソムリエの佐藤さん
フルーツハーバリウムのWSです

東北のおいしい米で作ったおにぎりコーナーはmonocreateさん

2年ぶりに復活した富良野メロンパンのキッチンカーは
午後には売り切れたそう。

12あるフリマも親子連れで賑わってました。

 

そして、13:00からは、ステージ部門がスタート
昨年は雨のため、中止だったのです

山家章裕さんのアコーステイックギター

昨年、エントリーしながら開催できなかった岩井彦樹さんの歌声は2年越し

かわいいお客様

そして、当日まで謎の集団だったエアギター

私は個人的にツボでした。

先ほどのちびっこたち

そして、華麗なダンス
カヨコフラメンコスタジオ&foxyfemme&HEILANI

おおっ!壮観!!

そしてラストは三味線奏者の藤原翼さん

彼の三味線目当てだというお客様も多数。

ここ、大事なとこなのですが

ステージ部門の方々も、出店料を払って参加してくださっているのです。

プロの方でも、アマチュアの方でも
本来ならギャラが発生するような方でも
「寄付を目的としたチャリティイベントなので」とお伝えして。

そしたら
藤原翼さんがステージで
「このイベントは震災で被災した市町村への寄付が目的なんですよ。
だから皆さんも寄付お願いします」
とお客様に呼び掛けてくださったそうです。
おかげさまで、ステージ部門でも7051円の寄付が集まりました。

 

ステージ部門の機材を貸してくださり、
音響担当してくださったポールふじむらさん、ありがとうございます。

無償のボランティアです

たくさんの方が足を運んでくださいました。
宮城在住の関西人Oさんは竜飛崎からの旅の途中。

募金していただきました。

こちら第1回目の2011年から使用しております募金箱

 

おかげさまで

出店料(ブース44店+ステージ7団体) 134,500円
当日配布のチラシ広告協賛28店 56,000円

仙北町の小さなひなまつり様から公開協力金 27,700円
街頭募金と出店者の方々から売り上げの寄付 33,878円

合計252,078円ものお金が集まりました!

 

ここに

浜松市のtetoteへ行こう実行委員会様からの寄付金をあわせ
経費をさしひいたお金を6月初旬に野田村へお届けしてきます。

 

晴天の下、事故なく開催できましたこと、感謝申し上げます。

「マチナカで気軽に出来る復興支援」を合言葉に

来年は10回目の開催!

 

 

<2019年5/3盛岡大通へ行こう!に完全ボランティアで働いてくれた実行委員10名>

もちろん、飲み会は自腹です。

これまでの「5/3は盛岡大通へ行こう」の活動はこちらをクリック

https://www.jyosi100.com/novia/activities/

 

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復興支援チャリティイベント~6/6に田野畑村・普代村へ寄付金を届けてきました。

 

今回、お渡しした寄付金は下記の通りです。
 

田野畑小学校へ60,000円
田野畑中学校へ60,000円
田野畑村スポーツ少年団へ40,000円(4団体へ各1万ずつ)
普代小学校へ60,000円
普代中学校へ60,000円
普代スポーツ少年団(教育委員会)へ30,000円(3団体へ各1万ずつ)
の2市町村6団体へ 合計 310,000円です。
※うち 150,000円は、浜松市の「tetote」実行委員会からの寄付金です。

 
 

まず田野畑村へ
教育委員会の方に準備していただき、
8回目にして初、「贈呈式」なるものを用意していただきました。
教育長、村の広報もスタンバイという大がかりなもの。

 

会場は、アズビィホールという場所で
震災直後は避難所となった場所だそうです。
決して広いとはいえない校庭にも仮設住宅が建っていたのだと聞きました。

 

田野畑村ではちょうど震災が起きる1年前に
6つあった小学校を1つに統合し、高台にある町役場の隣に移転したそうです。

 

「6つあった小学校のうち、2つは確実に流された。統合が1年後だったらと思うと・・・」

 
現在の小学1年生は、2011年の震災後生まれ。

 

震災の実体験をもたない子どもたちが増えているため
小学校5年生のときに「語り部学習」をいれ、いかに伝えていくか
を大事にしているそうです。

こちら贈呈式後の記念写真

 

 

また、「田野畑村では実は泳ぐとこがないんだよ」という話を聞き、
贈呈式のあと、海岸の島越や羅賀へ行ってみました。
(小中ともプールがなく、岩泉や普代の海洋センターへ行っているそうです)

 

 

旧島越駅の昔と今。駅の前は海水浴場だったところです。
<震災前>


<震災後>現在は水門工事中

島越から羅賀へ移動。
その道中も、防潮堤工事だらけです。

 


羅賀荘にも3階まで水がきたそうです。

 

とにかく、浜がなくなった・・という印象です。

 

観光を考えれば海の景色は残したい
命を最優先を考えれば高い防潮堤を作るしかない。

 

「羅賀荘からと机浜番屋群からしか海は見えなくなるんでないかな」という
贈呈式で聞いた言葉が響く光景でした。

 
そして、普代村へ
震災で被災した岩手の12市町村のうち、ここ普代村は
死者ゼロだった村です。

 

その「普代の奇跡」を作ったのが、この普代水門
高さ15.5M 幅205M
1984年に完成し、費用は35億。
(正直いって、「思ったより小さい」印象でしたが
この水門が命を守ったのです)

 

震災発生時、遠隔操作が停電できかなくなり
久慈消防署普代分署の3人の消防士が手動で水門をしめたそうです。


しかし、この水門と中と外では、天と地
こちらは当時の広報に掲載されている太田名部漁港の様子

そして、この水門から、わずか100mの距離に普代小学校があります。
水門との距離が、あまりにも近く、驚きました。



隣の普代中学校へ

 

この普代中学校で、私たちは、大変貴重な経験をすることができました。
避難場所である三陸自動車道路にご案内していただいたのです。

 

普代小、中学校では毎年4月に
小学生105名、中学生56名全員で
自動車道路へあがる避難訓練をしているそうです。

 

校庭を抜けて裏山へ

笑顔で先導してくださる角掛校長

 


非常時はここを破って避難します。

今は、鍵をあけていただいて中へ

階段が108段

階段を上がると、高速道路の真横に広い空き地が確保されています。
ここが、非常時の第一避難所だそうです。
参考までに、津波注意報発令でここまで避難することになっているそうです。

 

「150人入ったら満杯になっちゃいますね」

 

今年4月の避難訓練では
全員が約7分でここまで避難することができたそうです。
「小学校1年生には、つらい距離ではないですか?」とお聞きすると
「中学生がきちんと世話をしますから」
とのこと。

 

通称「釜石の奇跡」でも同様の話を聞きましたが、

やはり日頃の訓練があってこそなんだと思いました。

 

そして、この日、1日、何度も聞いた言葉は

「まずは、命が大事ですから」

 

特に、大船渡で実際に被災している角掛校長の話は
ひとことひとこと重みがあり、
風化させないっていうのは、やはり実体験のある人の話を
聞くことなんだなと思いました。

 

その後、普代のスポ少を管轄する普代村教育委員会へも行ってきました。

 

 

これまで人的被害のなかった普代村の情報は
同じ岩手県人でもあまり入ってきていませんでしたが
今回、貴重な話と体験をすることができました。
あらためて、御礼申し上げます。

 

 

そして、いわて負けるもんかプロジェクトは
おかげさまで、
9市町の32団体へ1,782,000円の寄付をすることができました。
これまでの活動はこちらです
https://www.jyosi100.com/novia/activities/

 

朝ドラで「生きていればこそ、希望がある」というセリフを聞きましたが
この日、何度も聞いた「命が大事ですから」という言葉とリンクします。
元気な子どもたちの声は、いつの時代も「希望」です。

 

そして、震災を知らない世代へどう語り継ぐのかという
復興教育も次の時代へ入ってきているなというのを肌で感じて帰ってきました。

 

 

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復興支援チャリティイベント~5/3は盛岡大通へ行こう2018

本来ならば5月にやったことは5月中にUPしなければならないものを
ブログを頼りに年末になって一挙掲載しています。

 

とある番組で
「平成30年間は戦争はなかったけれども災害の多い時代でした」

とアナウンサーがコメントしてましたが
こうして2018年を振り返ると、たしかに天気に左右された感じがあります。

 

この8回目となるチャリティイベントも

天気予報を見ながら、無事開催できるのかどうか、本当に心配しました。

ひとことでいうなら

「雨ニモマケズ」 

 

これに尽きます。

 

 

「1日中、雨の予報」で
予定していた音楽、パフォ-マンス部門も中止、、
そして56店の予定だった出店者数も27に。

 

しかし、前日の天気予報は「昼から雨は降らない」
本来は、歩行者天国の路上でやるはずだった出店を
半アーケードの、雨に比較的ぬれない場所を確保しなおしました。

 

寒いなか、がんばってくれた27の出店者さんには感謝しかありません。

 

フリマブース

元気に「耳つぼほぐし」の「心(み)ココロ★」さん

高松にあるインドレストランカバブさん


バリの雑貨を持って出店してくれたヒジャウさん

あかちゃんギフト専門店hugMeeさん

手相占いの「婚活パートナー」さん

株式会社ベアーさん

田屋果樹園さん

今回、初出店の方

沿岸の障害者施設で作った食品を出店してくれた社会福祉協議会さん

雨のなかでも凛と立つポーラさん

アロマオイルとマッサージのピュアドリームさん

姿勢専科KCSセンター盛岡南さん

田野畑村から画家の佐々木琢磨さん

ほぼ毎年出店してきださるオネットさん

いわいずみ炭鉱ホルモン鍋発掘隊のみなさんは昨年に続いて出店

こちらも初出店です

ほんとに寒い中
みなさん、頑張っていただきました!

本部前はこんな感じで、仙北町の女将?ががっつり守ります

実行委員

当日、配布する1000部のクーポン付ちらしを必死で手渡しするY実行委員

 

そして、寒いなか、足を運んでくれたお客様、本当にありがとうございます。
おそらく人出としては、昨年の1/3ぐらいかと思いますが
声をかけていただき、力になりました!

 

1昨年も来てくれた双子ちゃんは今年は歩いてた~!

青森から秋田観光の途中で来てくれたご夫妻も!

 

 

 

この「5/3は盛岡大通へ行こう」は

震災のあった2011年から開始しているチャリティイベントで

岩手県内で被災した沿岸の全市町村へ寄付することにしています。

 

過去6回の開催で
7市町村の26団体へ1,472,000円を寄付してきました。

 
さて出店者数が激減した今回
果たしていくら寄付できるのだろうか?と危惧していましたが
広告協賛金と寄付金に助けられました。

 
というわけで
出店料 27店  74,100円
広告協賛金 25店  50,000円

<寄付金>
いわて復興エイド基金  30,000円
仙北町の小さなひな祭り 30,000円
他寄付金           21,981円
(出店者の方の売上からの寄付・街頭募金他)

 

合計 206.081円ものお金が集まりました!
第1回目の出店者の方が転勤先の浜松で
同様のイベントを開いてくださっており
浜松tetote実行委員会からも150,000円の寄付をお預かりしました。

 
6月初旬に
田野畑村の小中学校、普代村の小中学校、
さらに田野畑村、普代村のスポーツ少年団7団体へ寄付してきます。

 

雨と戦い
苦労の多かった分、いろいろな意味で思い出となるであろう8回目の開催。
たくさんの応援してくれた方々に感謝です。

<8回目にして初めて撮った実行委員の記念写真>

 

 

そして、2019年の年があけたら
またこの「5/3は盛岡大通へ行こう」の準備が始まります。
あと2回。2019年は県北では大変、被害が大きかった野田村へ寄付する予定です。

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復興支援チャリティイベント~「6/7に寄付金を岩泉町に届けてきました」~

ほんとうに1年近くたっているの?と愕然としました。
とくに安家地区。
復興というより、街の再生なのかな?
できるだけ、集約したい行政の本音と代々そこに住んできた人との思いもあり、

時間がかかります。
(2017年12/31つぶやき)

 

 

チャリティイベント「5/3は盛岡大通りへ行こう」の寄付金をお渡しに
6/7 岩泉町へ行ってきました。

岩泉町は、

東日本大震災では、海に面した小本地区が被災し、
そして、昨年の台風10号では、岩泉町全域が被災。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201609/20160907_33015.html

 

この全域というのがまた本当に広い!
992.4k㎡で、本州一広い町で、

 

東京23区+横浜市とほぼ同じ。
もしくは、香川県のほぼ半分・・・

 

というのだけど、これだけではピンとこない。
東西に51キロ
南北に41キロ
車で走ってみて、

その広さがはじめて実感できる。
盛岡から1時間で岩泉町へ入るが、

そこからさらに1時間走ってもまだ岩泉町だ。

 

全半壊した家屋 700以上
欠損した道路は1035、梁16、

被害総額400億
私達がニュースでよく見たのは
入居者9名が亡くなったグループホームのある場所や
すぐ隣にある道の駅
けれど、あの場所は、岩泉町のほんの一部だということが
行ってみてわかる。
3/19に再開した龍泉洞

 

しかし、そのすぐ目の前はまだ工事中

昨年の岩手国体で野球の開催会場だったはずの楽天球場はこの通り

 

小本街道沿いには、家財道具だったガレキの集積所がある。

 

岩泉の中心地から車で北へ30分
安家地区にも行ってみた。
9か月後とは思えない景色・・・・。

 

 

 

岩泉町は
岩泉・小川・小本・大川・有芸・安家と6地区に分かれているそうで
この日、私達が見たのは
3地区

この広い地域の
いったいどう優先順位をつけて

復旧させるのか?
ほんとにほんとにまだまだ、
基幹道路以外は、道路や橋もまだまだこのような仮設です。

 
▼寄付をお渡ししてきました。
岩泉町への義援金として10万円

 

 

 

▼岩泉高校へ10万円
仮設住宅から通っている生徒が2名いるそうだ

 

▼そして岩泉スポーツ少年団へ12万

 

 

▼17時から練習していた子供たちと記念撮影
「グロ-ブ買ってもらえるかな?」とひそひそ話す子どもたちの
反応がなんともかわいい。

 


岩泉町役場前で記念撮影

 

震災後
「これが東京の銀座でおこったことだったら
もうとっくの昔に復旧してるよね」
という意味の発言を聞いたし、言った。

人口が少ない地域は
後回しにされてしまうのか?
それは仕方ないことなのか・・
震災の復興と重ねあわせて
いろいろ考えさせられました。

 

 

 

 

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