11年目の福島原発20キロ圏内視察ツアー②中間貯蔵施設編~2022年11/5~6実施

浪江をあとにした一行は大野駅で首都圏から参加される5名様と合流。

ここは大熊町にある駅で福島第一原発にいちばん近い駅です。

びっくりしたのは駅の西側。

ホテルや新聞販売店や商店街が並んでいたのが
すべて解体され、見渡す限りが更地になっていました。

 

そして東側。
今年の1月に訪れた時、まだ自由に通れなかったと記憶していますが
何の規制もなくなっていました。
どうやら6月から駅周辺が避難解除になった模様で、これから西東あわせての再開発が進むのでしょう。

 

さてツアー1日目のメイン、中間貯蔵施設見学です。
集合場所の中間貯蔵工事情報センターはかつてはチェーン店のラーメン店だった建物だそうです。

 

中間貯蔵施設とは

いわゆる除染に伴い発生した汚染土や廃棄物を福島県中から集め、2045年まで
貯蔵するための施設です。

双葉町と大熊町にあり、福島第一原発を大きく取り囲むように整備され、
その面積は1600ヘクタール、渋谷区とほぼ同等の広さだそうです。

施設という名前がついているので何か体育館のような広い場所をイメージしますけれども

違うのです。

ここは11年前まで住民が暮らしていた普通の街だったんです。

 

2014年に大熊町が、2015年に双葉町が中間貯蔵施設の受入れを容認し、
2360人の地権者が土地を売る、貸すなどに段階的に同意し、施設が作られていきました。

見学会には「双葉町コース」と「大熊町コース」があり、私たちは大熊町コースを見学します。
2015年に
福島県内のあちこちにあったフレコンバッグをトラックでこの施設内の保管場へ移す作業が開始されました。

いちばん多い時期には1日3000台のトラックがこの中間貯蔵施設を目指し、
1日700台のトラックが入っていたとか。
それから7年、
すでに(帰還困難区域を除く)95%の受入は完了しているそうです。
ですので、入って目にするのは大量のフレコンバッグ。
数か所このような山があります。

このフレコンバッグは、袋のひとつひとつを破り、
8000ベクレル以下のものとそれ以上のものとに分けるための分別施設へ
ベルトコンベヤーで運ばれるわけですが

すでにその作業も終わりに近づいているのか

解体されたベルトコンベヤーもあるそうです。

1月に訪問した時は分別施設の見学もあったのですが、この日はありませんでした。

そして

バスで走行中、目にするのはここにあった小学校、解体せずにそのまま残る家々、
公民館、寺など。
巨大工業団地と化したこの場所にわずかに残る人の営みです。

 

個人宅も思ったよりも建っていますが、写真は撮らないよう、固く禁じられています。

バスは高台にあるサンライトおおくまという介護施設へ向かいます。

建物には車椅子やストレッチャーが見え、震災の日の夜、(3キロ圏内への避難指示で)あわてて避難したであろう痕跡がみえます。

おそらくは職員さんの車でしょうか、そのまま駐車場に整然と並んでいました。

その高台で降車します。
(降車時はヘルメットと綿手袋をするように指示されます)

その先にあるのは、あの福島第一原発です。

原発までの距離は2キロ。
肉眼では1~4号機の建屋がはっきりと見え、すぐ近くに感じます。

 

もしかしたら入居していた方々の家族が働いていたのかもしれません。

きっとこの原発を誇りに思って毎日眺めていたのだろう、

そんなことを考えます。
原発がそこにあるのが当たり前の景色であり、日常。

 

ちなみに高台の線量は毎時1.5マイクロシーベルト。
参考までに現在、福島県で避難指示が解除されるめやすは3.8マイクロシーベルトです。

バスのなかで自撮り

この後、バスは高台から海沿いへ向かいます。

降車はできませんが、バスの中から海に近いヒラメの養殖所を見学。
福島というと原子力災害ばかりが話題になりますが
津波もあり、ここでは複数の方が亡くなっています。
震災翌日に避難指示がでたため、捜索には行けなかったのです。

これらの景色を見て最後に降車したのは、2045年まで土壌を寝かせるための貯蔵施設。
そこで再び、降車します。

「受入」「分別」するための施設はこれから解体が進み、
「30年間貯蔵」する場所だけが増えていくのでしょう。

そして2045年の期日がきたあとの最終処分場はどこになるのか・・?

それはまだ決まっていません。

 

こちらは高さ15メートルの堰堤に囲まれたエリアを利用したものです。


現在、すでに東京ドーム11杯分の土が運びこまれたそうで

うち3/4は8000ベクレル以下とのことです。

8000ベクレル以下のものはできうる限り再生利用し、
それ以上のものは減容した上で最終処分されるそうです。

 

そして驚いたのは、地権者でも今、自分の家や土地に入れるのは原則、年間30日とか。

先祖代々の土地を手放す、
家を手放す、

重い決断の上にこの中間貯蔵施設は作られました。

 

こうして中間貯蔵施設の見学を終え、一行は
双葉町の原子力災害伝承館とその手前にある交流センターへ。

交流センター屋上からは双葉町側の中間貯蔵施設が見えるので
私の拘りで日の暮れないうちにと上がってもらいましたが

今見てきたばかりの景色と比べるとインパクトがなかったのか
「寒い!」と不発に終わってしまいました。

ちなみにこんな風景です。

2021年11月29日復興の象徴から見えた皮肉な景色 – YouTube

 

ここに上がった分、

伝承館の見学時間を短くしてしまい、反省。。

 

屋外にあるのはかつて双葉町内のメインストリートにあった有名な標語のレプリカ。

なぜか中には展示せず、ひっそりと屋外に置かれています。

こうして一行は1日目の見学を終え、富岡町にあるホテルへ入りました。

 

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