復興支援チャリティイベント~6/6に田野畑村・普代村へ寄付金を届けてきました。

 

今回、お渡しした寄付金は下記の通りです。
 

田野畑小学校へ60,000円
田野畑中学校へ60,000円
田野畑村スポーツ少年団へ40,000円(4団体へ各1万ずつ)
普代小学校へ60,000円
普代中学校へ60,000円
普代スポーツ少年団(教育委員会)へ30,000円(3団体へ各1万ずつ)
の2市町村6団体へ 合計 310,000円です。
※うち 150,000円は、浜松市の「tetote」実行委員会からの寄付金です。

 
 

まず田野畑村へ
教育委員会の方に準備していただき、
8回目にして初、「贈呈式」なるものを用意していただきました。
教育長、村の広報もスタンバイという大がかりなもの。

 

会場は、アズビィホールという場所で
震災直後は避難所となった場所だそうです。
決して広いとはいえない校庭にも仮設住宅が建っていたのだと聞きました。

 

田野畑村ではちょうど震災が起きる1年前に
6つあった小学校を1つに統合し、高台にある町役場の隣に移転したそうです。

 

「6つあった小学校のうち、2つは確実に流された。統合が1年後だったらと思うと・・・」

 
現在の小学1年生は、2011年の震災後生まれ。

 

震災の実体験をもたない子どもたちが増えているため
小学校5年生のときに「語り部学習」をいれ、いかに伝えていくか
を大事にしているそうです。

こちら贈呈式後の記念写真

 

 

また、「田野畑村では実は泳ぐとこがないんだよ」という話を聞き、
贈呈式のあと、海岸の島越や羅賀へ行ってみました。
(小中ともプールがなく、岩泉や普代の海洋センターへ行っているそうです)

 

 

旧島越駅の昔と今。駅の前は海水浴場だったところです。
<震災前>


<震災後>現在は水門工事中

島越から羅賀へ移動。
その道中も、防潮堤工事だらけです。

 


羅賀荘にも3階まで水がきたそうです。

 

とにかく、浜がなくなった・・という印象です。

 

観光を考えれば海の景色は残したい
命を最優先を考えれば高い防潮堤を作るしかない。

 

「羅賀荘からと机浜番屋群からしか海は見えなくなるんでないかな」という
贈呈式で聞いた言葉が響く光景でした。

 
そして、普代村へ
震災で被災した岩手の12市町村のうち、ここ普代村は
死者ゼロだった村です。

 

その「普代の奇跡」を作ったのが、この普代水門
高さ15.5M 幅205M
1984年に完成し、費用は35億。
(正直いって、「思ったより小さい」印象でしたが
この水門が命を守ったのです)

 

震災発生時、遠隔操作が停電できかなくなり
久慈消防署普代分署の3人の消防士が手動で水門をしめたそうです。


しかし、この水門と中と外では、天と地
こちらは当時の広報に掲載されている太田名部漁港の様子

そして、この水門から、わずか100mの距離に普代小学校があります。
水門との距離が、あまりにも近く、驚きました。



隣の普代中学校へ

 

この普代中学校で、私たちは、大変貴重な経験をすることができました。
避難場所である三陸自動車道路にご案内していただいたのです。

 

普代小、中学校では毎年4月に
小学生105名、中学生56名全員で
自動車道路へあがる避難訓練をしているそうです。

 

校庭を抜けて裏山へ

笑顔で先導してくださる角掛校長

 


非常時はここを破って避難します。

今は、鍵をあけていただいて中へ

階段が108段

階段を上がると、高速道路の真横に広い空き地が確保されています。
ここが、非常時の第一避難所だそうです。
参考までに、津波注意報発令でここまで避難することになっているそうです。

 

「150人入ったら満杯になっちゃいますね」

 

今年4月の避難訓練では
全員が約7分でここまで避難することができたそうです。
「小学校1年生には、つらい距離ではないですか?」とお聞きすると
「中学生がきちんと世話をしますから」
とのこと。

 

通称「釜石の奇跡」でも同様の話を聞きましたが、

やはり日頃の訓練があってこそなんだと思いました。

 

そして、この日、1日、何度も聞いた言葉は

「まずは、命が大事ですから」

 

特に、大船渡で実際に被災している角掛校長の話は
ひとことひとこと重みがあり、
風化させないっていうのは、やはり実体験のある人の話を
聞くことなんだなと思いました。

 

その後、普代のスポ少を管轄する普代村教育委員会へも行ってきました。

 

 

これまで人的被害のなかった普代村の情報は
同じ岩手県人でもあまり入ってきていませんでしたが
今回、貴重な話と体験をすることができました。
あらためて、御礼申し上げます。

 

 

そして、いわて負けるもんかプロジェクトは
おかげさまで、
9市町の32団体へ1,782,000円の寄付をすることができました。
これまでの活動はこちらです
https://www.jyosi100.com/novia/activities/

 

朝ドラで「生きていればこそ、希望がある」というセリフを聞きましたが
この日、何度も聞いた「命が大事ですから」という言葉とリンクします。
元気な子どもたちの声は、いつの時代も「希望」です。

 

そして、震災を知らない世代へどう語り継ぐのかという
復興教育も次の時代へ入ってきているなというのを肌で感じて帰ってきました。

 

 

カテゴリー:5/3は盛岡大通へ行こう