第3セクターなめんなよ!第3弾復興応援バスツアー~2014年4/20開催~

※この時の出会いがさらにこの年に開催した「あまちゃんサミット」にもつながった思い出深いツアーです。

 

震災以来、続けている復興応援バスツアーも3回目。

はじめて県北の久慈を目指します。

4/20でまさかの「雪いっぱーい」の平庭高原を抜け、

 

着た~!!久慈駅
でたー!観光協会!!

いまや「あまちゃん」の聖地。テンションあがるねーー!

 

 

 

のびあの復興応援バスツアーは

必ず現地の方の体験談をいれることに拘っています。

第1回目 が、宝来館の岩崎昭子女将
第2回目 がさいとう製菓の元専務、津波伝承館の齊藤賢治さん

そして今回は、
三鉄の久慈駅長 橋上(はしかみ)和司さん

 

このポスターのなかのほぼ中央
この方です!

「あまちゃん」の大吉駅長のモデルになった・・・というと

ご本人は全力で否定されますが、やっぱりモデルになってますよね。

 

 

まずは三鉄の北リアス線運行部へ

 

「司令部」を見せていただきました。
現在の運行状況の他、風、雨量など外部環境の測定機械もあります。

 

 

その後、こちらの新型お座敷列車に案内され、
橋上駅長の体験談です。

 

 

まず語っていただくのは、4年前の3.11のこと。

この日、駅長はお休みだったそうですが、揺れとともにすぐに駅に駆けつけ、
駅にいた15名と高台に避難したそうです。

 

実際に被害の全容が明らかになったのは2日後。

いちばん被害の大きかった田野畑~島越駅間
 

高架橋が落ちた

 

 

「あまちゃん」で大吉さんとユイちゃんが見たのも
まさにこの光景という設定なんですね。

島越駅周辺の120軒あったお宅は
2軒を残して流失しました。

 

「三鉄の線路があったから助かった人もいるけど
線路が家を巻き込んで流れてしまった家もある」

また、
「ガレキ」という言葉を使っていたら
「俺らが稼いで建てた家だ、財産だべ!」と
漁師さんに怒られらという話もしていらっしゃいました。

そして

震災から2日後に
三鉄の望月社長は
「三鉄を走らせる」と決断します。

これを聞いた駅長
思わず「馬鹿か!」と思ったそうです。

余震が続くなか、脱線したらどうするんだ!と。

結果、

余震があって仮に脱線しても
列車が転覆しない、乗客もケガしない速度として
時速25キロ、
自転車なみの速度で走ったのが3/16
震災からわずか5日後。久慈~陸中野田駅間でした。

 

「でも結果的には走らせてよかったです。
生活用品なくて買いに行きたい人がいたし
安否を確認したい人がいた。
ストーブでも自転車でも毛布でもオムツでも
なんでも乗せて走った」

 

「野田も島越も大変だったが田老もひどかった。
田老出身者が駅について、変わり果てた故郷を見て
泣く光景を何度も見た」

 

その後、話は「あまちゃん」になり、
「撮影クルーと一番長く一緒にいたのは私です!!」

 

実は三鉄開業した1984年4月1日
久慈発宮古行きの
一番列車の車掌だったのが橋上さんだったそうで、

このあたりの設定はそのままドラマで使われたんですね。

何度も取材にきた怪しい男3人組が
NHKのスタッフで、朝の連続ドラマになるとわかったのは
半年後。

 

大吉さんがのセリフ
「第3セクターなめんなよ!!」
は橋上駅長が実際に
発した言葉なんだそうです。

※この時、駅長が手に持っている写真は

3.11のロケに向かう大吉駅長他、「あまちゃん」撮影スタッフの写真です。

 

 

3.11のシーンをロケする際、
たくさんの犠牲者がでた地域(島越駅周辺)でロケをしていいのか?
橋上駅長とNHKのスタッフは
1軒1軒お宅を回って説明に歩いたそうです。

その際、この地域のお坊さんに
「仏さんにとってつらいのは忘れさられること。
後世に残るドラマにしてください」と言われ、
出来たのが「あまちゃん」

 

この話はどうしてもたくさんの方に聞いてほしくて

8/30に開催した「あまちゃんサミット」でもパネルディスカッションで駅長から

語っていただきました。

 

・・・本当に貴重な話、まだまだ聞いていたい

話でした。

その後、

「とあるとこに隠してらった」という
「北三陸駅」のセットを見学。

写真だと小さく見えるでしょうが、現在使用している三鉄の久慈駅の看板を

そっくりこちらに変えるわけですね。

 

 

こちらは、アキちゃんと種市先輩の
「その火を飛び越えて」のロケ地となった車両基地。

 

 

ここで集合写真!
中央の「潮騒のメモリーズ」
これだけが撮影用の本物だそうで
あとのはレプリカだそうですよ。

 

 

昼食後、駅前の「あまちゃんハウス」「まちなか水族館」へ
「まちなか水族館」にロケセットたくさんありました。
商店街では「あま絵」も発見!

 

そして貸切の震災学習列車に乗ります。
久慈駅では大漁旗がお見送り

 

 

 

「発車のベルをどなたかおひとり鳴らしてください」
とのことで
今回、ツイッターでこのツアーを見つけて
東京からわざわざ参加してくださった
吉田さんに鳴らしていただきました。

吉田さんは、この後、8/30の「あまちゃんサミット」にも参加していただき、
今では「岩手は第2のジモト」と言い切るコアな岩手ファンになっております。
その最初のきっかけがこの「復興応援バスツアー」というのは嬉しいですね。

 

震災学習列車のガイドは三鉄社員の二橋さん

「震災学習列車」の発案者だそうです。

 

 

車内では
海に向かって黙祷。

松林と防波堤で見えなかったはずの海が今は見えます。

 

 

三鉄の社員はほぼ沿岸の出身だそうで
ひとことひとことに重みがあります。

 

さて貸切車両は
あまちゃんでは袖が浜駅となっていた堀内駅で3分間停車
「アイドルになりたーい」とユイちゃんが叫んだ場所です。

 

そして、なんとこの貸切車両は
「あまちゃんのロケ」に使用された列車だそうです。

 

見よ!証明写真

 

「ここはアキちゃんが座ってた座席ですよ」といわれた
Fさんは3センチその場で飛んでました。
じぇじぇじぇ~!!

 

こちらは

夏ばっぱが大漁旗を振った海岸。

よもやこの5か月後にここで50人の夏ばっぱが大漁旗を振ることになるとは・・。

(あまちゃんサミット・バスツアー)

 

田野畑まであっとういう間の70分でした。

 

こうしてお客様とお天気に恵まれた復興応援バスツアー第3弾

 

 

橋上駅長の話もよかった
「その火を飛び越えて」のロケ地見れたのもよかった
震災学習列車の手作り感いっぱいの説明もよかった

でも1番感動したのは

三年たってもなお、
三鉄車両に手を振ってくれる沿線の人がいる
ということ。

 

これが普通であることが凄いことだと思います。

最高のおもてなし じゃないだろうか・・

三鉄の社員の方はもちろんのこと、地元の人たちのこういうバックアップがあってこその「第2のジモト」な訳ですね。

 

 

<追記>
バスツアーのよいところ、それは1日行動を共にして、参加者全員が仲良くなれるところだと思っております。

今回も、参加者の方からプレゼントをいただきました。

こちらは第1回目の復興応援バスツアーから参加してくださっている滝沢市のOさん

作成の「馬っこ」 

 

 そして、盛岡市から参加したMさん作成のステッカー。

ツアー参加者全員分、頂戴しました。ありがとうございます。

 

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